母は割かし楽観的でひとが好きで下品でナルシストです。悪いけどそう思います。
そのこと自体は母の問題だからいいのですが、
それが自分とかかわってくると耐え難いものを感じるときがあります。
兄に関係すると、私に対抗意識を燃やすらしいです。
平たく言うと「嫉妬する」のです。

私のプライバシーに土足で踏み込んできます。

☆私が中学生くらいのときに、性の目覚めみたいなものがあったときに購入した、ちょっとひとには見せたくない本があったのですが、あるとき一緒に外出したら、母がハンドバッグから切符を出そうとしたとき、バッグにその本が入っているのを見つけました(小説で文庫本なので小さい)あとから嫌な気分になって(最初はただ驚いて何も言えず)、母に言っても知らん振り。最終的には自分がもともと知っていた作家さん、ということにしたかったようで、よく罠を仕掛けるようにあれこれ喋ってきました。

☆私を不安に陥れることも度々あります。
私は精神を病んでいることもあり一人でいるのがとても不安で、外出時にも母に付き添ってもらうことが多いのですが、(ちゃんと一緒にいてくれるときは本当に感謝していますが、この子は自分とは無関係なのよ、みたいな態度をとるときもあり、辟易します。それでも一人よりましなのです)服の試着をしているのに、着てみてカーテンを開けると母がいない。目の届く範囲にもいないし、大声で呼んで周りの人から私が変な目で見られても無視。来ない。やっときて「なぜいなくなったのだ」ときくと、「あら、だって自分の服を好きに見ていたいもの」なぜひとこえかけてくれないのか。こういったことはフリーマーケットに行ったときが最初でしたが、そのとき私は今より20kg近く痩せており、やせ細っていたと言うのがぴったりきます。病気でものが食べられなかったときでした。私がすきなスカートを見つけて、「入るかなぁ。着てみるね」と履いてみて「どう?入ったよ」と後ろを振り向くと誰もいない。高層ビルの真っ只中で、私は突然一人で置き去りにされたのです。母を探し回ってやっと見つけると、「あら、入ったの」とか何とか言われた気がします。

☆家に留守番でいて、やっと母が帰ってきたら、母がコップを取り出して、「これ「でぶねこ」って言うお店で買ってきたのよ!デブ!!デブ、デブ!!」とわめき散らす。このときは母の気がおかしいのかと疑ったものです。(そのとき食事がちゃんとできなかったので痩せていたのです。ちなみに太っている今は体を見てニヤニヤしたり、妊婦さんみた~いと喜んでいます)

☆母は家庭科を教えていたので、私も手ほどきを受け、共通の趣味として洋裁をするのですが、地直しのためアイロンをかけているといきなり顔に霧吹きをかけられたこともあります。母は冗談でやっているという態度をとりますが、真顔でされたことで、私は驚き、傷つきました。母はちょっとおかしいと思いました。

☆母と二人で通っていた歯医者に、一人で行くことになったときのこと。
その歯科は「亀戸」という地上の駅と、地下鉄新宿線の「西大島」という駅の中央くらいにあり、ある時私一人で行くことになった。
私は母と「亀戸」から行ったことしかなかったので、母に「「西大島」の駅へ行って、出口を出て右?左?」と訊いた。母は「右よ。右」と答えた。笑っていた。
その時居合わせた兄が首を傾げ、「左じゃなかったっけ?」と言ったが、母の通いなれている昔からお世話になっている歯科だし、母の方が正しいのだろうと、母の言う通りの道を選んだ。
実は本当は左へ折れるのが正しく、私は暗い冬の町中を一時間ぐらいさ迷い歩くことになった。母は嘘をついたのだと思う。

☆私がいじめに遭っていた時のこと。
母が、兄が殴った生徒「高橋」の家に謝りに行った後のこと。
このとき母にとって「高橋」という姓名が、私をいじめた首謀者の名前としてしっかり記憶されたと思う。
母は直後、プロ野球巨人軍の当時のルーキー、高橋選手のことを突然、応援しだした。
今までそんなことをしたのは初めてで最後。
理由を聞くと「だって、若い人って応援したくなるじゃない」。
その後、母は兄のいない間、私に向かって「高橋!高橋!」と連呼していた。
これも母の嫌がらせと思う。
その後は母弁解がましく「昔応援していたスポーツ選手の名前なんてどうでもいいわ!」などと言っていた。
ちなみに本当のいじめの首謀者の名前は「若林」という。
母には死んでも教えまいと思い、今も教えていない。
母が「若林」を連呼することは、無い。

☆私がカレー肉じゃがという料理を作っているとき、「手伝う」と言って母がそばについた。私が時間をセットして、鍋で煮る時間をはかり、時間が経ったので鍋の火を止めようとした。
そのとき、母が慌てたように火を止めた。
私は不思議に思ったが鍋の料理を皿に盛った。
料理は生煮えだった。
きっと母が火加減を小さく絞ったのだと思う。
何も知らない兄から「味見した?味見は料理の鉄則だぞ」と言われる。
私はそんな失敗をしたことがなかったし、そののち同じ料理を同じ時間煮て作ってみたら、ちゃんと火が通って美味しくできた。

☆まだ引っ越すまえの、狭い団地に住んでいた時のこと。
その時兄は家に居らず、ある荷物を出先に送ってほしいと兄の船から連絡があったので母と用意していた。
包み紙に私が兄へのメッセージを書くと母が「そんなもの見る前にビリビリに破っちゃうかもね」と言った。
私は病んで、相当心が傷つき、摩耗し、ひどい状態だったが、母がそんな私に何を言っているのかは理解した。

☆同じく団地でのこと。私が自分のデジカメの電池を充電しようとして、コンセントにつないでおいた。そのあと寝て起きたら電池がほかのものとすり替えられていた。(使えなくなった電池が充電器にセットしてあった)私はすぐに母の仕業と思い、母に「なんか電池がなくなっちゃったみたい。新しいの買うのにお兄ちゃんに相談してみようかな」というと、母が慌てた様子で、「あっ私ちゃん、そこに落ちてるんじゃない?」と言って電池を見つけた。私が間違えたのではない。(間違えたなら二つの充電電池、使えなくなったのと古いのが、ケースの外にあるはずない。落ちてるというのもない。母がやったんだと思う。


☆母に「私ちゃん、私(母)が旅行に行っているとき、すごく楽だったって言ってたでしょ?それ分かるの。私も私ちゃんがいない方がほっとするの。お兄ちゃんも同じこと思ってると思うわ」って言われた。お兄ちゃんにこのことを聞いてみたいけれど、以前のように怒鳴りつけられたら…という気持ちがあってなかなかできない。でも言いたいけど…。

以上です。以上のことは、兄は知らないです。(最後に書いてあることだけ知ってはいますが、返事はもらえませんでした)
統合失調症を患って、20年になる女です。
二つ上の兄がいます。

まず、母は兄が帰ると高いトーンの声になって
「○○ちゃん、○○ちゃん!」と話し掛けつづけます。兄が戸を閉めても、その外から話しかけています。

私と兄しかわからない話題とか、
兄とだけ話している時間が長いといらいらしだし
(今は後述の理由で兄とはほとんど話していません)、
私にだけ見えるように貧乏ゆすり(というか
イライラを体で表そうとする)をしたり、
ほかの人にとってはなんでもない、
でも私にとって普段から「いやなことだからやめて」ということをし始めたり。

☆意地悪する(トイレの生理用ナプキンをしまっておいた所からひっぱりだしておくとか。お兄ちゃんが家にいるときにやる。経血がべったりトイレの座面の前側についていたことも。文通相手の女の子に話したら「べったりなんてつきませんから、犯人は私さんが思っている通りだと思います。しかしひどいですね」と言われた)とか、嘘をつく(間違えた振りで私の知らない道順に正反対の道(右を左とか)を教えるなど)とか、
些細なことの積み重ねで神経が参ってしまいます。

頓服を貰っていますが、
母が私を嫌っていると思うととても悲しく、
その気持ちは薬ではどうにもなりません。

「お兄ちゃんがひとりでかわいそうだから、
あなたを生んだのよ」と何度か言われたことがありますが、
母がおかしいと自覚するにつれ
「自分は兄の為に生きているんだ、
兄がいなくなったら私だって要らないし、
兄がいてはじめて私がいるんだ」
というように思えてとても悲しいし辛いです。

母はとても子供っぽい人で、
私が買ってきてきれなかった服があると、
膝丈のキャミワンピでも着てしまいます。
さすがに「私にはこの服に合わないみたい」といいますが、
30としが離れているのになぜ、
服を見てわからないのかと不思議に思います。

私はいつも母を受け止めているつもりですが、
頭がおかしいくらいに人が変わってしまうと、
もう母のことはわからなくなってしまいます。

兄が帰省したら、
母がまた変わったらどうすればいいか。
また、
普段から母にどう接すればいいのか。


父とは私が中二のとき離婚したのですが、「私ちゃんはどちらと一緒に暮らしたい?もう私ちゃんは大人ですからね。あなたの自由意志よ」と言ったのに、後日「××(父のこと)は児童養護施設にあずけると言ってたのよ」と言ってくる。私は捨てられても自由意志?何が?



先日、母に嫌なことをされ、やめてと言ってもやめてくれないのでパニックになり、薬が悪く作用していた時でもあり、混乱していたところ、兄に口を挟まれてしまいました。

兄は理性的に話していたと思うのですが、語調がどこかからかうようで、矢継ぎ早に私を責めるので頭が真っ白になって、気が付いた時には食卓に並んでいた皿の一つを投げつけていました。兄はそれで額を切り、6針縫うけがを負いました。

そのあとしばらく口をきいていなかった(お互いに話しかけず)のですが、この間母が外出した時に、兄に普段母にされている嫌なことを相談しようと、以前医師にみてもらったことがある書類を手渡そうとして、部屋の前で声をかけ、「これ、読んで」と言ったら「なんでてめぇの命令きかなきゃならねぇんだよ」とすごまれ、戸惑って「え??命令じゃない、頼んでるんだよ」と言ったら「薬を飲んだら読んでやる」というので仕方なく薬を飲みました。

それから兄の部屋に言ったらすごい剣幕で怒鳴り散らされ、「てめえ、この野郎」とか言われて、お皿を投げたことを責められました。兄の主張は、お皿の後の数日後に会社の最後の面接があり、それに私のせいで落とされるところだった、俺の人生がめちゃくちゃになるところだった、というのです。私は「??????」でした。会社には「病気の妹がいます」と説明をしてはいけないのでしょうか?病気の家族がいると面接で落とされるのですか?精神的に不安定というなら、私は安定しているとでも思ったのでしょうか。

私は鼻水を垂らしながら号泣し、部屋に戻りました。それから何日かはそのことで苦しんで、本当に気がくるってしまいそうになりました。医師に相談してもらちが明かないし、「てめぇがなんて言おうと、一生許さねぇからな!!」とか、我が家は両親が離婚している母子家庭なのですが、父が昔母にコップを投げつけたことを引き合いにして「あーあ遺伝しちまったなと思ったぜ、お前とあいつは親子で、同じことしてるから遺伝なんだよ!!」とか、「俺はお前とは違うぜ、毎日行くところもあるし、仕事もしてるし、友達もいるしよ!!」とかと言われたことを何度も思い出して、悔しいのと兄の無理解が悲しいのとで、心が砕けそうでした。

今現在は薬が少し変わったこともあり、それなりに落ち着いているのですが、孤独感と虚しさ、それと言いしれない破壊衝動が襲ってくるときがあり、今兄は仕事で家にいないのですが、母を罵倒してしまいます(兄が帰ってくるのが近くなると繰り返し、何度もです。普段は落ち着いています)。一度口火を切るとあの時の苦しさと怒りが襲ってきて、兄にされたように母を罵倒してしまう(※このときはそうでした。今はそうではありません)のです。母はうんざりした様子で、私を無視しています。

私は病気なのだと思っています。でも、それならそれで、なぜお皿を投げつけるほど追い詰められていた私のしたことを「病気がしたこと」と受け止めてくれないのでしょうか。なぜ、病気扱いしているのに、真人間にするように責められなければならないのでしょうか。私は薬も飲んでいるし、医者にも行くし、自分にできることを増やそうとして家事をしています。都合がいいときだけ「病気だ」「薬を飲め」「医者に行け」とつっぱねておいて、一度自分が頭に来たら真人間に言うように罵声を浴びせる。これはおかしいと思います。

兄は兄で我慢してきたことがあると思います。でも、兄の我慢は主に仕事に対する我慢です。すごくつらいのでしょうが、それと私の病気とは関係がありません。私の病気について我慢してきたというなら、私が母にいじめられて、嫌がらせをされていること、お皿を投げなければならないほど追い詰められている私の精神状態を鑑みてほしかったです。

いま、私と兄は一言も口をききません。母はそれを喜んでいます。愛息子大好きなので。もうもとのきょうだいには戻れないと思います。しかし、私はこれからどのようにして、兄に分かってほしい気持ちと折り合いをつけていけばいいと思いますか?母の嫌なことを言っても、母はやめてくれません。医師に言っても聴いてもらえません。私はくすりでおちついていますが、時々爆発します。ものを壁に投げつけたり、こわしたり。人が傷つくようなことはしませんが、兄の「一生許さない」が私を苦しめます。



私は母に出て行け出て行けと毎日いわれて過ごしていたとき、父のことをよく考えました。父は家庭で孤独だったのではないだろうか。些細なことで感情的になった父は、もしかしたら私に似ているのではないだろうか。私は父に似ていると言われたのが悲しかったのではありません。「最低な人間の娘だ」と、父をあしざまに言われ、否定されて、それはおろかその悪い悪い人間の娘だ、遺伝した劣勢の、劣った劣った人間だ、と言われたのが悲しかったのです。

私は極悪人のつまらないけちなプライド持ちの、かんしゃく持ちの酒飲みの、気に入らないことがあると家族にものを投げつける人間の娘で、そっくり父親に瓜二つ、昔私の意地の悪い友達が言ったように、育ってゆくに従いますます父に似て、老いてゆくに従い父に瓜二つの、双子のような人間にでもなるのでしょうか。それは悪いことなのでしょうか。自分にはどうにもならないことで、なぜ私は責められるのですか。

昔私が母の貯金箱からお金を盗んだのがばれたとき、父だけが私を責めず、「自分も子供の頃、竹の筒からお金を盗んだ」と聞かせてくれました。私は今でもそのことを覚えているのです。

母は私に「今の病気の私ちゃんを見ても、福留(父)が私ちゃんを好きになったかどうかは分からないわね」と言って、私を淋しくさせました。私はいつも、いつでもひとりぼっちだったのに、なぜ今になってそんなことに気がついたのか不思議です。淋しくともひとりではないとでも考えていたのでしょうか。

とにかく朝、目がさめた瞬間から私の苦悩は始まります。意識があるのが辛いくらいです。今は淋しさに耐えかねて、よく母と一緒に過ごしていますが、母は傍若無人に、子供のように我が儘に振る舞い私を傷つけます。私も母を傷つけようとして、母の怒りを買い、私は孤独に落ち込んでゆきます。

誰のことも憎みたくないです。うらみたくも、怒りで狂ったりもしたく無いのです。猫を怯えさせる私は嫌な私です。私はいま、ひとりぼっちです。ひとりぼっちで、そのことを伝えたくて今ここにいるのです。

…ここまでは昨日までに書いたことです。私は今考えを新たにしています。なぜ私は怒ってはならないのか?憎んではならないのか?怒りや憎しみといった感情はなぜ忌み嫌われるのか?

私が小学生の一、二年の頃、学級にいじめられっ子のKさんという女の子がいました。彼女はどういうわけか、何か言われたりからかわれたりすると「たったそれだけのことで?」といいたくなるのですが、顔を真っ赤にして泣きながら反論するのです。楽しいことを発見した男の子達の格好の標的でした。きっと私は母にとってそのような楽しいおもちゃなのでしょう。私というおもちゃで遊ぶのが、母は面白いのです。

きのうの夜にネットで統合失調症の患者本人や、家族向けの読み物を読みました。それによると家族は、患者に対して怒ったり、怒鳴ったり、またはおろおろしたり泣いてみたり、感情をぶつけるようなことをしてはならないとかいてあったのです。これが正しいことなら、私は怒ってよいのではないかと思います。なぜなら私は常に母や兄の精神的な便所で、怒りも動揺も、そのエゴを、汚いクソを投げつけられて過ごしているからです。

兄が怒ったとき、私は鼻水をたらしながら嗚咽しました。もうあんな目にあうのはごめんです。誰かが私のことをかわいそうに思って、私の権利と誇りを取り戻して欲しい。過去にそういったことがありました(母について親戚の叔父に相談して、叔父の友人の鳥飼さんという人に心配してもらい、その人が母を叱ってくれたのです。もう随分過去のことで、母は「でもねぇ私ちゃん、おじちゃんは私にこういったわよ、「美代子、鳥飼さんは医者じゃないからな」って…(含み笑い)」ということに決めているようです。叱られたくせに。一言も言い返せなかったくせに。)

誰も兄と母を責めないし、ただしもしない、そのまま私はKさんのように虐められ続けるのでしょうか。私は気が狂ってしまいます。


最後まで読んでくださって、有難うございました。